地域おこし協力隊に応募した経緯

4月16日火曜日は「君の椅子贈呈式」に出席しました。歩いて絵本の館へ行く道すがら剣淵町開拓記念木の「やちだも」の前を通りかかりました。青空に映えたやちだも。少し芽もふくらんで鳥が気持ちよく休んでいます。

さて、「なぜ協力隊をに応募したのか、なぜ剣淵町なのか」について知ってもらおうと記述しようと思います。はじめは士別市に農家のお嫁に行った方と知り合いだったことがきっかけでした。遊びに行ったとき、夜は真っ暗で飛行機も飛ばない静かな町。こんな生活もあるんだなぁ。と漠然とした感想しかありませんでした。

そして、2011.3.11東日本大震災。一瞬で生活を奪われ、いつ起こるかわからない次の震災に脅かされる日々。今生きていることを後悔したくない。やりたいこと、興味があることは今すぐ始めるべき。それから、興味のあることはできるだけすぐに始めようと努力しました。

はじめは、ムーミン好きなのでフィンランド語を習い、それからフィンランドへ長期間住もうと考えました。しかし、仕事などで語学教室も休みがちになり、お金の問題など現実的な問題に直面して、これは長期戦だなと思い保留へ。

それから、何回か士別に遊びにいく機会が増え、農業も面白いかもしれない。と思うようになりました。まったくの素人が農業??北海道出身の友達は、「大変だよ~。辛いよ~。」と何を言い出してんだこの人はという感じ。実際のところ自分自身も冬の農閑期の問題がありました。収入がなくては生きていけません。しかも一人ですし不安もあります。

その不安を後押しし、応援してくれた方が、士別市のさくらさんです。農業に興味あるかも。。といった後の、さくらさんの行動力といったら!まず市役所へ電話し農業担当者の方と話をする機会を設けてくれました。私はあまり行動派とはいえません。それもあってかうまく話は進みませんでした。その間に知り合ったのが士別市地域おこし協力隊の鯨井さんです。そこで協力隊の存在を知りました。若い人たちが地域のために頑張っているということに新鮮な感動と興味がわきました。そんなやりとりをしている間に仕事では2か月強と中国へ長期出張。

出張先では日本語が話せる中国人を採用しているので、生活には問題ありません。領土問題どこ吹く風。あっという間に月日は流れていきました。その生活も刺激になったのか、東京以外の土地でも住めるじゃん。住もう!と北海道への生活を実現に向けて動こうという矢先、またまた士別市のさくらさんから剣淵町で協力隊の募集をしている。という情報をいただきました。

いきなり農業への就労となると、それなりの勇気と根性とお金が必要です。まずは地域に住んで実際に仕事をしてからその後を決めよう。と、応募締切ギリギリで提出しました。応募ギリギリだし年齢も結構ギリギリだな。。と思っていたらすぐに採用のお返事が!正直びっくりしました。これも何かの縁なのでしょうか。嬉しいというより驚きの方が大きかったです。

10年間務めた会社では、ついに来たか。。といわれましたが、北海道行きのことは退職当日まで話しませんでした。まだ自信ある理由が見つからなかったこと、地域おこし協力隊の活動がまだよくつかめなかったからです。

でも、実際に話したら「親が剣淵町出身だよ。」とか「寒さに強くなるね。」とか皆さんすんなりと受け入れてくれました。

こんな流れで「剣淵町地域おこし協力隊」として委託されてきました。まだ素人並みの「農業をやりたい。」ですが、これからどんな活動ができるのか地域の皆様の協力の元頑張りたいと思います。

長くなりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございます。

士別市の吉田さくらさんに尊敬と感謝の意を込めて。。

地域おこし協力隊 田中 紘子

 

 

 

 

 

 

 

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